「呼吸をなんとかしようとしてはいけない」というのがヨガです。
「自由きままにとびまわるものをこのくらいの範囲でどうぞ。」と言い、
その範囲で観察をして、巻き込まれないようにするというのがヨガです。
心は飛び回るもので、ヨガではモンキーマインドと言います。
心はかならず飛び回ります。そして、かならず一度はこちらを振り向いてくれます。
それが「気付く」瞬間。そのときにこっちだよと引き戻してあげる。
なので、「飛び回っているな」と思いながら呼吸をするだけでいいです。
それを押さえつける必要はありません。
モンキーのご褒美は瞑想とか呼吸法の実践のあとの「ほんわり」とした感覚。
それを定期的に行っていくと、ご褒美のおいしさにきづいて自分からそこに戻ってきます。
短くていいので、定期的にそれに気付く実践をすること。
そうするといつのまにか、もどってくるようになります。
気づいたらそこに戻る実践が必要となります。
じゃあ、瞑想とかをたくさんすればいいの?と思われれるかもしれませんが、
ヨガは集中とか瞑想をしてできるものではありません。
ヤマ・二ヤマと言われる態度をつくり、そこではじめて準備がととのって、気づいたらそういう状態になっている。
それをしようと思っている段階では集中(ダーラナー)、瞑想(ディヤーナ)ではありません。
瞑想の意味しているところがヨガと仏教では違います。
ヨガではやろうとしなくてもそうなっている状態が、ダーラナー、ディヤーナです。
なにがトレーニングになっているかというと、きづいて、もどるの繰り返し。
それでいい。
ヨガの練習の段階として呼吸法(プラーナヤーマ)の前にアーサナがあるように、
プラーナヤーマであまりにも集中できない場合は、
リラックスしながらのアーサナを練習したほうがいいです。
準備ができると自然に快適に感じて、座りたくなってくるので。
どんなアーサナ。いわゆる流派を練習したほうがいいかは、人それぞれだと思います。
しかしながら、
古典的なヨーガのアーサナと現代的なヨーガのアーサナの違いはまちがいなくあります。
ヨーガは心の科学であるので、
古典的なアーサナは「心がおちつく方向」でのアーサナになっています。
一方で、現代的なアーサナは動き続けることにより運動野への「集中」を促します。
現代人が現代的なアーサナを行うことはきっかけとしてはとてもいいと思います。
ただ、動き続けることは心も動き続けるということです。
でも最終的に、「座って、自分の中に落ち着きがない。心地よくない感覚がある。」
という感覚があるならば、ヨーガの本来めざしているところである、
「心を落ち着けていって、心のなかに平和な静けさをもたらす。」というところにはたどり着かないのかもしれません。
ならば、アーサナの練習も激しい動きに集中することから、静かな動きに集中すること。
プラティヤーハーラ(感覚の制御)と、シフトを変えていくことによりより実践も深まっていくのかもしれませんね。
ヨガに対する考えがまとまってきたので、来年からは積極的にヨガのWSを行っていこうと思います。